−影−

2020年11月6日(金)−11月29日(日)

nohakoの今秋2回目となる展覧会は、水上嘉久展「影」を開催します。水上さんは、一貫して、石という物質から生まれる形象の現れを追求している彫刻家です。近年では、山景をイメージさせる《陰に山》の連作を発表されていますが、今回の展覧会では、これまでの作品に見られた抽象性をより一層展開させた新作《影》を発表いたします。

水上さんは今回の展覧会に向けたステイトメントのなかで、東洋の絵画表現における「影」について注目をし、他方で、「物体と影は一体であるから物体は影から逃れることは出来ない」とする彫刻の在りようへの自覚を示されています。水上さんがもつ彫刻の実在性をめぐる制作態度からは、西洋美術と東洋美術の習合する日本における特異な造形表現の一端にふれる思いがします。

今回の展覧会は、4点の新作により構成されます。nohakoの空間に静かに立ち現れたかのように存在する水上さんの作品と、ゆっくり対話頂ければ幸いです。どうぞご高覧下さいますよう、ご案内申し上げます。

東西の絵画において、その差異の一つに影がある。かつて記述的な客観を求められた西洋絵画では、古くはローマやビザンチンのモザイク、初期イコン画などにおいても、すでに陰影描写による対象のボリュームが表現されている。なにより中世以降、西洋絵画における影は神としての光の代弁者でもあった。

一方、北宋に頂点を迎える水墨画の岩塊描写にも明らかな陰影表現を見ることが出来るのだが、その山陰や樹影を地に顕すことは終に無かった。これは光からも自立した客観的西洋絵画に対して、士大夫たちの隠逸思想による内的な美への希求と、その東漸により余白に千変の光を取り込むことを是として発展した日本の障壁画にとっても、影は無用の長物であったのかも知れない。たとえば等伯松林図屏風には物体の影が一切描かれることなく湿潤な大気が顕れているが、そもそも山水画は実景を前に描かれるものではない。よってこれらはおしなべて現世を否定するところから描かれているとも考えられる。無影界。つまり「黄泉」と隣合わせと言うことか。

ひるがえって、物体と影は一体であるから物体は影から逃れることは出来ない。

光が無ければ影も無いように、本来、彫刻における物質と形象も同じく相互補完的に存在するものとして一体不二である。然るに実即影、影即実であり、即ち存在即非在、非在即存在となって、物体としての有も即無、無即有と捉えることが出来ないか。

水上嘉久

水上嘉久 Yoshihisa MIZUKAMI

1960
熊本に生れる
1983
多摩美術大学彫刻科卒業
1985
多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了

主な個展

1986
ギャラリー山口/東京(以後、1988,1991,1994,1998,2002,2007,2009)
2001
ガレリアグラフィカbis/東京
2012
Kaneko Art Tokyo/東京(以後、2014,2017)

主なグループ展

1984
「所沢野外美術展」所沢航空記念公園/埼玉
1987
「明日への造形・九州」第7回展「イメージの突然変異、浮遊と中断」福岡市美術館/福岡
1988
「臨界芸術・88年の位相展」村松画廊/東京
1989
「Take Art Collection」ワコールアートセンター/東京(以後、~1991まで参加)
1990
「Museum City Tenjin」福岡市/福岡
1992
「ORC200・街をかざる彫刻コンクール」大阪市/大阪
1993
「湘南ひらつか野外彫刻展」平塚市総合公園/神奈川
1999
「第2回利川国際彫刻シンポジウム」利川市/韓国
「第3回雨引の里と彫刻」大和村/茨城(以後、2001第4回展、2003第5回展に参加)
2004
「第19回平行芸術展」エスパスOHARA・小原流会館/東京
2005
「第21回現代日本彫刻展」宇部市/山口
2006
「ARS KUMAMOTO -熊本力の現在-」熊本市現代美術館/熊本
2007
「第5回アートプログラム青梅」青梅市/東京(以後、〜2013第11回展まで参加)
2017
「Singapore International Miniature Sculpture Exhibition」シンガポール
2018
「アートフォーラム河鹿園」青梅市/東京
2019
「Shoes Box Sculpture Exhibition」国立台湾芸術大学、他/台湾
(以後、〜2020まで参加)
2020
「Contemporary Sculptures of Japanese Masters」Red Gold Fine Art Taipei/台湾
「Art Taipei 台北国際芸術博覧会」台北国際芸術村/台湾