−景色−

2018年9月28日(金)−10月21日(日)

nohakoでは、昨年より「絵画への経験」をテーマに、3つの展覧会を企画してきました。伊藤史展「おもてをたてる」、髙橋圀夫展「奥へ」に続き、最終回となる今回の展覧会は、瀬古徹展「景色」です。通常、絵画を観る経験とは、観者が作品の正面と対峙をする関係のうえで成立するものですが、本展ではそうした観者の視野を拡大し、作品の置かれた場を眺めることから「絵画への経験」を捉えてみたいと思います。

瀬古さんは、小さな箱型、あるいはレリーフ状の形態をもつ《a board》と名付けた作品を制作する美術家です。作品は、麻布が張られた木片を支持体に油絵具やテンペラで彩色がほどこされ、絵画の正面性を保ちつつ、一つの物質感をもったオブジェクトとして存在します。また作品は、展示空間において個々の関係性をとどめながら点在し、作品を眺める場をつくり出していきます。本展のタイトルである「景色」は、そうした瀬古さんの作品による場の眺めを意味しています。「景色」とは時として、眼前に広がる茫洋な様子をイメージさせるものですが、その茫洋さは、観者と観る対象との距離や、観者の視野に入る複数の対象物どうしの間を含むが故に生み出され、眺めることにより発見されるものです。本展では、「絵画の経験」そのものを、「観る」から「眺める」へと移行することにより、絵画がひそやかにもっている作品が置かれる場との親密性をも発見してみたいと思います。

瀬古さんの作品は、観者の作品への対峙性を柔軟にし、絵画の在りようを空間へと開放させます。ノハコにおいて、瀬古さんの作品による「景色」を眺めて頂ければ幸いです。

アーティスト・ステートメント

私には出身地の意識がない。

小さな頃は、父親の仕事の関係でほとんど2年ごとに転居をしていた。が故に、ホームとかアウェーとかいった感覚もない。その頃は、どうやったら新しい環境や人間関係に早く馴染むことができるのか、どうやったら慣れ親しんだ環境や人間関係との想いを断ち切ることが出来るのかの繰り返しであったような気がする。この経験によって、私はある種の落ち着きのない人間になった。

アーティストの多くはその根、つまり出身地(バックグラウンド)との関係によりその作品が語られ、広がりを持つこととなっている。勿論それを羨ましいと感じたこともあった。しかし羨ましがっても仕方がない。今は東京の郊外に住み小さな部屋をアトリエ替わりにしながら、自分の根底にある仮暮らし感覚と付き合う術を心得ようとしている。

私が小さな作品をつくりたいのは、そのような“バックグラウンド”がある(或いはない)からだと思っている。

考えられる私の作品の特徴は、「携帯性がある」「制作者よりは、所有者の意思によって配置され、その場に微かな緊張感を与える」「生活空間に於ける他のものより主張せず、しかし、響き合う」の3点である。

それは純粋な絵画ではなく、「道具」のような作品だと言えるであろう。いつも展覧会の搬入時には、全作品を厚手のコットン生地のトートバックに詰め込み、肩に担いで会場に向かう。もしかしたらそれがやりたくてこのような作品をつくっているのかも知れない。

きっとこの生涯では、土地に根を張った大文字の芸術作品(例えば、絵画)の創作は行わないだろう。いつでもその場を去り、新しい場に移動できるような心持ちで、小文字の美術作品(「道具」)の制作を続けて行きたいと思っている。

瀬古 徹 Toru SEKO

1963
生まれ 東京都在住

主な個展

2003
〈Scraps of the Ordinary〉藍画廊/東京
2009
藍画廊/東京
2010
〈Shapes with Shades〉藍画廊/東京
2011
〈Tonic on the wall〉藍画廊/東京
2012
〈Pocketableau〉藍画廊/東京
2013
iGallery DC/山梨
2014
〈The Physical〉藍画廊/東京、〈Token〉わたなべ画廊/埼玉
2015
〈Self-reference〉藍画廊/東京
2016
〈Release,release〉藍画廊/東京
2017
〈ながめもの〉藍画廊/東京

主なグループ展

2008
〈京橋3-3-8〉藍画廊/東京
2010
〈nakano BROADWAY 元気なアート展 part Ⅱ〉中野画廊アヴェニュー/東京
2011
〈アートスクランブル2011〉わたなべ画廊/埼玉
2012
〈HOLONIC 個と全体の調和を図る〉GALLERY UNICORN/埼玉
2017
〈山梨の現代美術作家vol.3 瀬古徹×渡部貴子〉iGallery DC/山梨
2018
〈わたなべ画廊30周年記念展〉わたなべ画廊/埼玉